5話目 絶対に誰にも言えなかった秘密の悩み

5話目 絶対に誰にも言えなかった秘密の悩み

生きるって何だろう?
死ぬってどういうことだろう?
心ってなんなの?
人間て何だろう?

中学2年生の時にきっかけがあって
考え始めるようになりました。

 

後悔なく生きる根拠が手に入る!
nTech(認識技術)セミナー講師の
原田 卓 です。

 

自己紹介シリーズ第1章!
「愛され過ぎた悲劇!人の気持ちを理解できない孤独人間だった!」

第1章では、
生まれてから中学校2年生(14歳)までのことを
5回に分けて書いています。

 

第1章5話目の今回は、
「絶対に誰にも言えなかった秘密の悩み」
について書いていきます。

中学生の時に書いた作文

「今生きていることの素晴らしさ」

中学生の時に書いた
国語の作文のタイトルです。

 

今、自分が生きているっていうことは、
両親がいるから。
その両親にも親がいるから生きている。

そう考えると、
先祖からのつながりが途絶えることなく、
脈々と続いてきたから、
今、自分は生きている。

 

もし戦国時代に、先祖の誰かが死んでいたら、
自分が生まれてくることはなかった。

そう思うと、
今生きているだけで素晴らしい。

 

そんなことを作文に書いた記憶があります。

一緒に住んでいた祖母の死

中学生の時に、
「生きるとは、どういうことなんだろう?」
と考え始めるようになって、
そんなタイトルの作文を書いたんだと思います。

 

生きるって何だろう?
死ぬってどういうことだろう?
心ってなんなの?
人間て何だろう?

 

中学2年生の時に、
一緒に住んでいた祖母の死を経験したことが、
大きなきっかけでした。

僕にとっては、
初めての身近な家族の死だったからです。

自分の心の中に祖母は生きている

生きた祖母には2度と会うことはできないけれど、
自分の心の中には祖母との思い出は残っている。
そう思いました。

 

たとえ生きて会っている人でも、
自分の心の中に残っていない人もいる。
そう考えると、
自分の心の中にその人は生きていないことと同じようなもの。

だとすれば、肉体は死んだとしても、
祖母との思い出はたくさん残っている。
だから自分の中では、おばあちゃんは生き続けている。

 

そう思いました。

絶対に誰にも言えない秘密の悩み

身近な祖母の死を経験して
絶対に誰にも言えないことがありました。

 

祖母が死んだ悲しみよりも、
ホッとした安堵感の方が
自分の中をたくさん占めていたんです。

祖母が楽になって良かった、
という意味の安堵感ではなくて、
死んでくれて良かったという
種類の安堵感でした。

 

祖母にも感謝もいっぱいあったことも確かです。
にも関わらず、ホッとして安堵している自分もいることも
また事実でした。

親にも友だちにも、学校の先生にも、
祖母が死んでホッとして良かったなんて
絶対に誰にも言えませんでした。

これでやっと母が楽になれる

人が死んで、
しかも自分を可愛がってくれて大切な家族の祖母なのに、
死んで良かったと思ってしまう。

そう思いたくないと頭では思うのに、
そういう気持ちになっている自分がいる。

 

なんでだろう?

僕には
その気持ちをごまかすことはできませんでした。

 

なぜ、そう思うようになったのか。
今にして思えば、
仕方のない家庭の状況がありました。

 

実家は米屋で元旦以外は年中無休。
お米以外にも食品や日用品も扱っている
田舎の小さな商店。

ご近所の方々に来てもらって成り立つから、
営業時間はあってないようなもの。
仕事と、子育てに毎日忙しい母親は、
定期的に体調を崩していました。

 

今でも鮮明に覚えていることは、
僕が小学2年生の時に母が入院して、
立つことも歩くこともできなくなった姿です。

これが本当にショックでした。

 

いつも元気な母親の姿が好きだったので、
一体何が何が起こってしまったのか。
世界の終わりが来たような思いでした。
(今にして思えばそんなこともないんだけど。)

祖母の絶対王政のようなルール

祖母は、なかなか強烈な人で、
自分が正しいと思ったことは絶対に曲げないし、
家族にも強制することが多くありました。

そんな祖母の風当たりが一番強かった先が
母親でした。

 

祖母がいる限り、
お母さんも家族も自由にはならない。
そう思っていたんです。

 

祖母からの抑圧が幼少期から、
ずーーっと強烈な環境だったので、
祖母が亡くなった時に、
やっとこれで、母も家族も楽になれる。

そう思った当時の僕がいました。

心って一体何なんだろう?

なぜ同じ家族なのに、なぜ人が死んだのに、
純粋に悲しい気持ちだけじゃなくて、
ホッとするような気持ち、
恨みたくなるような気持ちになってしまうんだろう…。

こんなことを誰かに言ってしまったら、
不謹慎なやつだと思われそうだし、
自分自身でもそう思う。
誰にも相談することができませんでした。

 

人が死ぬこと、
人が生きること。

これには一体どんな意味があるんだろう?

 

心って一体何だんだろう?

「心はありますか?」って聞けば
みんな口を揃えて「ある」と答える。

でも「見せて」って言ったら、
誰も「これですよ」って見せることができない。
だけど心はある。

不思議…。

 

一体人間って何なんだろう?

分からない…。

 

そんな疑問を抱くようになった、
中学2年生の多感な時期でした。

その時から
疑問に対する答えを求める人生が始まっていきました。

 

第1章はここまで。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

次回からは第2章にです!

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