聖徳太子の「和をもって尊しと為す」を底上げする令和哲学者ノジェスの心感覚「0=∞=1」

聖徳太子が残したあまりにも有名なフレーズ「和をもって尊しと為す」。
しかし現実には、分断や対立の構図が日常生活から世界情勢まで、その根底に見られます。
なぜ、和をもって尊しと為せないのでしょうか?
真実の付き合いをつくる認識技術”nTech”講師の原田卓です。
今回は、「和をもって尊しと為す」の「和」について、nTechの観点から考察します。
*”nTech”は科学技術の次の未来技術
・エヌ・テックと読みます
・日本語では「認識技術」
・認識技術=認識テクノロジー=Nin-shiki Technology→nTechです
→nTech関連記事はこちらから
和をもって尊しと為せない「相対的な和」と「絶対的な和」
約1400年前に聖徳太子によって作られた日本初の憲法「十七条の憲法」。
「和をもって尊しと為す」の一文は、第一条の冒頭にあります。
日本人だったら誰もが知っている、あまりにも有名なこの一文。
座右の銘にする人もいるくらい、1400年経った今も日本人の心に響きます。
僕も昔学校の授業で初めて習った時、日本ってスゴイなと誇りに思った感覚が残っています。
ここ数年は、SDGsが時代のトレンドのようになっていますが、
多様性や調和、持続可能性というコンセプトは、
まさに「和をもって尊しと為す」にぴったり一致するものでしょう。
個人主義・利己主義・分断や対立から、共同体主義・利他主義・融合と調和へ、
日本が昔から大切にしてきた精神性に時代が流れてきていると感じている人も多いはずです。
でも一方で、米中覇権争い、民主主義と社会主義の対立、半導体の主導権争いなど、
分断と対立の流れは止まるより加速しています。
なぜ、「和をもって尊しと為せない」のでしょうか?
「和」と一言で言っても、一人ひとりが抱く「和に対するイメージ」はバラバラです。
和に対するイメージがバラバラの中で、「和をもって」為すことは不可能に近いでしょう。
「和」とは何なのか?
3つの段階で考察していきます。
まずは、一般的に抱きやすいイメージとして、
「みんな違っていて、みんないい」というイメージの「和」があります。
一人ひとり生い立ちも価値観も違うんだから、考え方や感じ方も違って当たり前。
みんな個性が違う。だからその個性を認め合おう。
みんな違っていて、みんないい。
そのような意味での和があります。
これを「相対的な和」と言います。
自分と他人を相対的に比較して、みんな違うんだからお互いの違いを認め合おうとする和です。
人との違い、例えば性別や人種、宗教観や価値観、身体的特徴など、
「違い」を理由に非難や攻撃の対象にするのではなくて、
尊重し認め合うことは非序に重要なことです。
しかし、違いを認め合えずに争いの原因になる現実が広がっています。
そこで必要となるのが、「和」の2段階目です。
それは、「相対的な和」に対して「絶対的な和」です。
相対的に「違い」を比較する「相対的な和」とは異なり、
比較対象がない、つまり「違いがない世界」の境地が「絶対的な和」です。
「絶対的な和」のイメージは、まだ一般常識として広がっていないので、
パッと聞いて理解することは難しいと思います。
しかし、お釈迦様や千利休が残した言葉から「絶対的な和」の世界を垣間見ることができます。
般若心経に綴られる「色即是空、空即是色」。
また、千利休の「侘び寂び」です。
ここでは詳しく説明はしませんが、
どちらにも共通しているポイントは、
人間の脳でイメージや理解ができる相対世界の中での和ではなくて、
人間の脳のイメージや理解の範疇を超越した「絶対世界の和」を表現しています。
これは「違い」を比較することが不可能な境地です。
仏教では「悟り」の境地であり、言い換えるならば「差・取り」
つまり「違いを取った、違いがない」世界です。
心感覚「0=∞=1」で到達する「究極的な和」
「絶対的な和」の世界は、人としてのゴールであり終着点、
一生をかけて追求して辿り着きたい、もしくはそれでも辿り着くことができない境地。
そんなイメージを持ちやすいと思います。
しかし、「絶対的な和」つまり「悟り」を人生のゴールにするならば、
そのプロセスである人生は、違いによる争いのループから抜け出せないことになります。
人によっては、争いの先、悩みの先に人間としての生きる喜びがあるし、
悩むことにこそ人生の醍醐味があるという主張も頷けます。
しかし、それで、本当の意味で人生の醍醐味を味わっていると言えるでしょうか?
違いを許せる、違いを楽しめる、違いを愛せる、違うからこそクリエイティブできる、
そんな何でもウェルカムな心で人生を謳歌してこそ「生きてる!」と言えると思います。
そして、今は圧倒的な違いが求められる大変革の時代です。
これまでの人類が繰り返し続けてきた争いのループにピリオドを打つタイミングに生きています。
「相対的な和」を補う「絶対的な和」。
「絶対的な和」を補う、それが「和」の3段階目である
「究極的な和」です。
「究極的な和」は、nTechを創始した令和哲学者ノジェス先生によって提唱されています。
「絶対的な和」の悟りの境地を「仏教の悟り・個人の悟り」とするならば、
「究極的な和」の悟りの境地は「侍の悟り・集団の悟り」だとノ先生は言います。
「違いが有る」という前提で「違いを認めよう」とする「相対的な和」。
「一切の違いが無い」境地に超越する「絶対的な和」。
この2つの和の世界を自由に活用できるのが「究極的な和」の世界です。
「一切の違いが無いシンプルな世界から、多様な違いが生まれる仕組み」を活用できる、
だから、多様なパートナー関係を結ぶ多様性と調和が可能になる世界。
それが「令和=Beautiful Harmony」の世界です。
「究極的な和」を理解するキーワードは、
心感覚「0=∞=1」です。
心感覚「0=∞=1」を活用するのが認識技術nTechです。
詳しくはノ先生の新刊「心感覚」をご覧ください。

今回は、聖徳太子の「和をもって尊しと為す」の「和」について、
nTechの観点から考察しました。
なぜnTechをお勧めするのか、赤裸々な自己変化ストーリーとともに紹介しています。
自己紹介シリーズ
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
LEAVE A REPLY