目の前の存在を美しく認識するー芸術活動で文明のパラダイム転換を起こす完全学問「nTech」

目の前の存在を美しく認識するー芸術活動で文明のパラダイム転換を起こす完全学問「nTech」

目の前の存在に「美しさ」を認識することができるでしょうか?
今回は、芸術活動で文明のパラダイム転換を起こす完全学問”nTech”について書きます。

*”nTech”は科学技術の次の未来技術
・エヌ・テックと読みます
・日本語では「認識技術」
・認識技術=認識テクノロジー=Nin-shiki Technology→nTechです
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コロナの新たな変異株「オミクロン株」は、WHOによって世界規模のリスクが「極めて高い」と発表されました。
日本では感染が静まり経済活性化の雰囲気が高まっていますが、世界の動きに合わせて水際対策と監視が強化されました。
変異株の出現とワクチンの普及やロックダウンを繰り返しながら2年になろうとする今、
520万人以上の死者が出ているコロナパンデミックは、人間と見えないウイルスの見えない戦争であり、
第3次世界大戦が起きているような状況に人類が置かれていると捉える危機意識が極めて重要です。

コロナパンデミックが起きる前と起きた後で、私たちは、何も変わる必要はないでしょうか?
変わる必要があるならば、一体何を変えなければならないのでしょうか?
私たちは、パンデミックから私たちは一体何を学び取り、未来への糧にすることができるのでしょうか?


今までの延長線上の発想では変化を生み出すことはできません。
発想を転換することが必要⁠です。

個人の生活、個人の人生、個人の生命が脅かされるパンデミックですが、
個人だけの生活や生命を守ろうとする発想では、解決の道はみえてきません。
「宇宙船地球号」に乗っている「運命共同体」から発想する必要性は昔から言われています。
個人主義が蔓延する一方でグローバル世界は複雑に絡み合って、相互に影響を及ぼし合っていますから、
個人の幸せのみを追求する発想は、ストップする必要があることは、多くの人が頷くところです。


では、文明のパラダイムを変えるような発想の大転換とは何でしょうか?
それは、発想そのものの根底を覆す領域の話題です。

文明という大きなテーマですが、文明を作った主体は人間です。
動物や植物は持たず、人間が築いているのが文明です。
ですから、文明を考える際には「人間とは何か?」という定義が前提にあった上での議論です。
ですので文明を変えることを本質的に捉えば、すなわち「人間観を変えること」だと言えます。


「人間とは一体何なのか?」

人生をかけて一生追求しても、答えが出るかどうか分からないテーマであり、
また自分なりの答えを出してところで、
誰もが納得できるような客観的な定義をすることはほぼ不可能に近い難題です。


しかし、コロナパンデミックによる世界的危機は、「人間とは何か?」に対して、
誰もが納得できる共通の解を出すことを、私たち人類に大きなお題として要求しています。

ウイルスという目に見えない微細な存在に人類が翻弄されて滅亡の道を辿るのか。
あるいは、この危機を乗り越えて人類の新たな地平を開拓するのか。
気候変動の観点からも、このまま人間の社会活動が変わらなければ、
2050年には人類は地球上で生きることが困難になることが警告されています。


人間観を考える時に、疑いようもない前提に

「人間は宇宙の中に存在している」

という大前提が働いています。すなわち

「人間と人間の宇宙は実在している」

という大前提です。
つまり、文明を築き上げてきた人間観の根底には、
「人間と人間の宇宙は実在する」という大前提があるのです。

ですから、文明を変えるとは、言い換えれば
「人間と人間の宇宙は実在する」という大前提を覆すこと
と置き換えることができます。


みなさんは、目の前の存在に「美しさ」を認識することできるでしょうか?

ここで言う「美しさ」とは、容姿や立居振る前が美しい、誰かや何かと比較して美しいといった意味合いではなくて、
存在そのものに対して存在していること自体に「神秘さや神聖さ」を感じることができる「美的センス」を言っています。
まるで歌や芸術作品に心が酔いしれるかのように、
目の前の存在そのものに酔いしれることができるかどうかという意味での「美しさ」です。

「人間と人間の宇宙が実在する」ところから発想すれば、
目の前の存在が存在しているのが当たり前です。
人は当たり前のことに対しては、感動よりマンネリを覚えます。
存在しているのが当たり前だったら、そこには何も希少性も有り難みも感じることはありません。

しかし、存在しているのが当たり前ではなかったらどうでしょう。
目の前の相手が本当は存在していないはずなのに存在しているように見えたとしたら、
それは奇跡であり神秘であり神聖ではないでしょうか。
(ちなみに、お化けや幻想が見えるといった類の話ではなくて、「実在していないものを存在しているように見えること」の認識ついての言及です。)


「人間と人間の宇宙は実在している」という大前提を
「人間と人間の宇宙は実在していない」という大前提に覆した時に、
目の前の存在に対して「美しさ」を認識できるようになります。

自分の条件に合うから良い人、
自分に喜ぶことをしてくれたから好きな人、
自分の価値観に共感できるから好きな人。
だから美しく見える。

そういった条件による「美しさ」の裏には必ず、
自分の条件から外れたら悪い人、
自分に気分が悪くなることをしたら嫌いな人、
自分の価値観に共感できなかったら嫌いな人、というような
条件によって醜い存在に認識されるというオチがあります。

しかし、「人間と人間の宇宙は実在しない」という大前提から発想すれば、
自分の条件によらず、無条件に目の前の存在に対する「美しさ」を認識することが必然です。
なぜなら、「存在する」というあり得ないことが、
まさに目の前に出現しているという奇跡で神秘で神聖な瞬間と対峙していることが認識できるからです。
それは、存在を美しい芸術作品として認識することです。

文明のパラダイム転換は、存在を美しい芸術作品として認識する

認識パラダイムの大転換

です。


「人間と人間の宇宙は実在する」大前提を
「人間と人間の宇宙は実在しない」大前提に覆し、
さらに、全く正反対の2つをイコールにする未来技術がnTechであり、
nTechが完全学問たる所以です。


完全学問を打ち立てた令和の賢人
「21世紀の悟り人 令和哲学者ノジェス先生」の動画です。

▼完全学問-コロナパンデミックの要求-
https://youtu.be/Vumhk6CnCGk

▼完全学問とは何か?前編
https://youtu.be/7NXZEUQdNW0

▼完全学問とは何か?後半
https://youtu.be/cj9WZgnyWmw


12月14日には新刊本が発刊予定です。
https://noh-jesu.com/shinkankaku/

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